セックスレスなんて言葉が公然と言われるようになって長いですね。
検索エンジンでもかなりの数が引っかかってきます。
個人的な意見としては明確な理由もなく拒否されている側が被害者だと思ってますが、この理屈に真っ向から反対する意見も見られます。
簡単に書くと「できないんだから認めるべきだ」というもの。
そこに被害者も加害者も存在しないと言う意見ですね。
まぁその後に「相手には申し訳ないと思う」というのがくっ付きます。その時点で既に加害者になっていると思うのは私だけでしょうか・・・?
で、トドメに「浮気はダメよ」と来ます。だいたいこんなもんです(笑)
どうしてそんなことになるのか。私が聞いた話だけで恐縮ですが、ちょっと考えてみました。

 まずは拒否される側を見てみましょう。
 健全な男女が一緒にいたら普通はやるもんだって言うのが世間的な通説ですね。
この通説のおかげで痛くも無い腹を探られた経験がある方もいらっしゃると思います(笑)
そこに恋愛感情がある場合と無い場合があるでしょうが、とりあえず合意の上なら何も問題はありません。
ですが、今回の場合は片方はその気でも相手の同意を取り付けることができません。
いきなり玉砕です。
 
 そんなんだったら浮気してやる〜〜〜と考えるのも仕方ないかもしれません。
基本的に結婚したら他の人とヤっちゃいけません。日本の法律はそういうことになってます。
ですから基本的に婚姻状態にある相手に対して行為を求めるわけですが、上記通り玉砕しちゃってます。
他に相手を求めようとしても法律上ダメです。
もう我慢するしかありません。ご愁傷様です。
(風俗が浮気に当たるか?という部分に関しては様々ご意見がおありでしょうからここでは触れません。)

 それでは拒否している側を見てみましょう。
 拒否した結果行為が行われないわけですから、自分の要望は聞き入れられました。
一応申し訳ないとは思ってますが、結果的に自分の思い通りに事は運んだわけです。
我慢する部分は1つもありません。
今日も平和に一日が過ぎていきました。良かったですね。
 どんな思いで拒否したか云々・・という理屈をこねて正当化しようとしたって事実は曲がりません。
自責の念が・・なんて事を言ったってそりゃ自分が招いたことですから仕方ありません。
自分の思い通りに事を進めて相手に我慢を強いてしまった事実だけが残ります。
 拒否してる人の中には「結婚生活に一番大事なのは思いやりだ」と言う人もいらっしゃいますが、拒否しつづけることは自分自身の理屈にも合っていないことに不自然を感じないのでしょうか。
(相手を思いやって拒否している人はこの限りではありません。)

 かなり乱暴な理屈に見えるかもしれませんが、話を聞いてみるとこう言う場合が多いようです。
ただ、拒否している人の中に「相手が変わったらできる」と言っている人が多いのも事実です(笑)
結局は「相手に飽きた」というのが多くの結論のような気がしてなりません。

それよりも、これが日記として成立するのかどうかの方が気がかりだったりします(笑)

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